「火垂るの墓」を見て思う、日本人の生活基盤は他人の力を前提としてるから意外と脆い

火垂るの墓原作
毎年この時期TV放映される、高畑勲の名作「火垂るの墓」を見ながら思いました。

日本人の生活は意外と脆い(もろい)

食べ物はスーパーに買いに行けば手に入るし、水は蛇口をひねれば出てくる。
ガスがあれば火をおこす必要もない。壁のスイッチを押せば電気が点いて部屋が明るくなる。

でもこれらライフラインは、自分じゃない他人が用意してくれたものです。
私は「自分で魚や肉を獲れ」と言われてもすぐには出来ないし、水道が無くなったら飲み水を手に入れる方法もよく分からない、マッチやライターが無かったら火もおこせない、電気なんか作れるわけがない。

もし今の自分のライフラインが、仮に戦争や天災で突然壊されてしまったら、自分ひとりの力だけじゃ1カ月生きてける自信が無い。
救援隊様たちが物資を届けてくれない限り、脱水か飢えで死んでしまうと思います。

つまり、私を含め人間の生活基盤のほとんどは、ほぼ全て他人の力ありきなんです。
だから、自分と他人を繋ぐルートが壊されてしまうだけで、自分ひとりでは生きることが出来ないんです。
自分の力はなんと脆いことか。

人間は豊かになるほど生き延びる力が無くなる

電気・ガス・水道に頼らないで生活をしているどこかの国の原住民や部族の方が、日本人と比べて物は豊かではありませんが生き延びる力は遥かに高い。

日本人は自分の力でどうにもならない事が多すぎるように思います。
人間は生活が豊かになるほど、生き延びる力が無くなっちゃうんでしょうね。
前に誰かが「何かが簡単になるほど、別の何かが鈍る」と言ってたのを思い出します。

そのことをリアルに思わされたのが東日本大震災の出来事で、私の住んでる盛岡市は大きな被害が無いにもかかわらず大パニックで、われ先にとコンビニやスーパーに走った人が多かったのではないでしょうか。
自分の力で生き延びることが出来ないから、生活基盤へのダメージが出たことがわかると怖くなっちゃうんでしょうね。

ですが、もし日本人に電気・ガス・水道に頼らないで生活できる”サバイバル力”があったとしたら、スーパーから物が消えるようなことにはならなかったと思うんですよ。

清田君にサバイバル力があれば節子ちゃんは死ななかった

話を映画「火垂るの墓」に戻しますが、節子ちゃんと清田君は栄養失調が原因で死んでしまいます。
お医者さんから「滋養を摂りなさい」と言われて「滋養なんかどこにあるんですか!」と叫ぶシーンが印象的。

死んだ元を辿れば、清田君がプライド維持のために叔母さんの家を離れたことが原因ですが、その後の横穴生活で清田君にサバイバル力があれば、節子ちゃんは死ななかったんじゃないかと思うんですよ。
山に行って水を確保して、火を起こして虫や動物を獲って、野草を調理して滋養を摂る力があれば、節子ちゃんも清田君も生き延びることが出来たかもしれませんね。

この作品は戦争の辛さや悲しみがクローズアップされていると思うんですが、”日本人は他人ありきで生きることができているから、その繋がりが無くなると脆いよ”という事も考えさせられます。

火垂るの墓、原作は傑作です!!

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