知れば知るほど難しくなるね・・・。

9月から通い始めた盛岡さんさ踊り清流ですが、気が付けばあっという間に12月中旬。
全体練習会・初心者練習会ともに、今年の練習会は全て終わりました。

3か月やってみて分かったことは、今までの踊り方とはかなり変えなきゃいけない。
テンポ・叩き方・動き方が違うから、感覚的にもガラッと変えて練習してないと注意されます。

今までパワー系だったのが、清流では「無駄な力や動きをゼロにして、全員でしっかり動きを合わせて統一感で魅せる」という感じでしょうか。

練習最後の日に指導してくださっている方から「流れるように太鼓を打つんだ」と教えられました。

これまで意識したことも無かったので、「むむむーーー」と、もがいております。

初心者練習会があるのは良い仕組みだ

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清流は初心者練習会の日を、全体練習とは別に設けていることが特徴です。

初心者同志で集まると話しやすくなるので、その後の活動で「ポツーン」と孤独なりにくい。
盛岡さんさ踊りを継続して活動するために乗り越えなきゃいけないことは、実は「孤独」じゃないかと思うことがあります。

一人で盛岡さんさ踊りの団体に「始めよう」と乗り込んでいっても、「特に教えないけど見て勝手に覚えて」という所が多いようです。
料理の世界で言う「味は見て盗め」に近いように感じています。

この仕組みは一長一短で、やる気と根性がある人は残ります。ですが、「楽しそう、やってみたい」とちょっと考えているくらいの人は長続きせずに辞めていきます。
声をかけてくれない、教えてくれないもんだから孤独に耐えられないのでしょう。

メンバー側からすれば「聞けば教えるよ」という姿勢なんですが、通い始めて半年くらいは、聞く行為ってハードルがめちゃめちゃ高いです。

例えば他人の家にお邪魔して「勝手にくつろいで。欲しい物があったら言って」と言われても、くつろげもしないし、仮に欲しい物があっても言えるわけがありません。
家主は客人が自宅の環境になじむまで、ある程度は気をつかってあげる必要があるわけで。これは日本人ならではの「遠慮」という精神も関係しているんじゃないかな。



新しく「盛岡さんさ踊りをやってみたい」と来て、放置されて孤独に耐え切れず辞めていった人の中にも、実は大化けするような人がいたのかもしれませんね。

ですが、「これくらいに耐えられる人じゃなければ、盛岡さんさ踊りはちゃんと踊れっこないよ」と思う人の意見も分かるんですよ。
私も、ある程度苦しんで、自分でじっくり観察して、自分で動いてみて、自分の頭で考えて練習している方がしっかり身に着くと思っています。

分かるんだけど、「これから長く伝え繋いでいく」という点でみると、その考えを貫いて自分の所属している会が100年続くか?となると、どうでしょう。
子供の人口は減っているし、2070年には盛岡の人口は半分になるそうです。
踊りを覚える前に「孤独」というハードルを設けることは必要なのかなと思います。
会としてはそういったハードルを設けているつもりは無いのかもしませんが、新しく入る人にはそのハードルが見えることがあります。

どっちが良いのかは分かりませんが、その結果は会に所属している人数が一つの目安になるとも思います。