わたくし、お金を貰って出演させて頂いているのなら、手抜きはしちゃいけないと思ってます。ですが、この部分ついては個人差が大きい。今日は自分の考えを書いてみることにする。
どこのアマチュアオーケストラでも必ず必要とされるのが”エキストラ”だ。
アマチュアオーケストラは、どこの団も弦楽器プレイヤーが足りないのが実情。その穴埋めする為にフリーの奏者や先生、他の団からエキストラとして参加してもらって、演奏のお手伝いをしてもらうのが割と一般的です。
ところがだ。お金が出ると分かっていながら、手抜きで悲惨な演奏をするエキストラがゴロゴロいます。
手抜きエキストラでも需要がある
手抜きエキストラの特徴は、その名の通りホントろくに弾けません。よくそんなんで他のオーケストラに顔出せたなーというくらい悲惨です。
それでも団にとってはエキストラが必要な状況だから、そういう人にも仕方なくエキストラを頼んでます。地方のアマオケは弦楽器が不足していることが多いので、そんなに上手くなくてもエキストラの需要があります。特にビオラとチェロの需要が多いです。
で、私が毎回理解に苦しむのが、下手と分かっていながら?いや分かってないのかもしれないけど、ろくに弾けないまま演奏会に出演している手抜きエキストラさん。
わたくし、出演料が出ると分かって引き受けている以上、演奏会ではそこそこのパフォーマンスは発揮する必要があると思っています。何せお客さんがチケット代払って聴きにきているわけだし、エキストラであれ出演している以上、お客さんに対してその対価分のものは提供する義務も発生するわけです。だけど、どうもこの部分の考えで個人差が生じているらしい。
考え方の違い
まず手抜きエキストラには、”お客さんに対して、自分の持てる最大限のパフォーマンスを提供する”という考えは無いらしい。
どっちかというと、”自分が楽しいからやっている”に加えて”出ることに意義がある”で止まって、その先は”わたし、プレイヤーとして成り立っている”という勘違い。
そういう人を見ていると、何年経っても成長していません。向上心も無くて練習不足。普段から手抜き生活をしているもんだから、当たり前ですけどね。
それに対してキッチリ仕上げてくるエキストラさんは、しっかりとした信念を持っているように思います。
”自分が楽しいからやっている”という部分は手抜きエキストラさんと同じように持っていますが、それに加えて”演奏仕上がりの向上”とか”お客さんに対して価値を提供する”とか。加えて、演奏会の度に不満な表情をする人が多い。練習量も多いです。
需要があるからという甘え
結論、需要があるからという甘えは、思考も習慣も堕落させてしまう事があるのかなと。
先日、東京の商社に勤めている方と食事した時にこんなことを言ってました。
「盛岡のお店は美味しいですねぇ。
東京は人口が多すぎるもんだから、そんなに美味しく無くてもとりあえず人は入るんです。 ランチ時はどこも人が一杯だから、味は気にせずに仕方なく空いてそうな所に入ってますよ。
だから調理人も味やサービスを追求する人は少ないのでしょうね。もっとも、そういうお店は長い目で見ると潰れてますけど。」
需要に甘えずに、しっかりと価値を提供しようとしている人が生き残るのかな。とはいえ、万年的に需要がある状況であれば、手抜きエキストラも生き残っていくのかもしれません。
どっちにしても、手抜きエキストラにはなりたくないものです。