頑張るは通用しない結果次第

今月は久々に演奏会に出ます。結婚する前は年10本くらい県内外のオーケストラで演奏してたんですが、結婚すると独身の頃にようにいきませんね。今日はそんな演奏会のことで、ふと思い出した事を書きます。

私は演奏会が終わって皆の話を聞いて、毎回理解出来ないことがあります。

それは演奏で上手くいかなかった時の言い訳で「でも、私は頑張ったんです」と言う人。私にすれば「何を言ってるんだろう」と思うんです。

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お客様は結果しか見ない

演奏会に足を運ぶお客様は、その場で行われた演奏しか知りません。そのオーケストラがどれだけ頑張って練習してきたかはどうでも良いし、演奏会が開催されるまでの過程は知る由もありません。それに、個人が忙しい生活の合間を縫って、どれだけ練習に時間を割いたかだってどうでも良い。

だからお客様は結果しか見ないのです。多くのお客様は、自分が支払った金額や割いた時間に見合う対価を求めて足を運んでいるんです。

それなのに、上手く演奏できなかった時の言い訳で「でも一生懸命演奏したんです。自分は頑張ったんです」と言う人がいることが、私には全く理解出来ないのです。

上手く演奏出来ないのは、単に自分が未熟で練習不足なだけで、それが今の自分の実力です。これを理解出来ない人が、言い訳で「自分は頑張った」を使うんでしょうけど。

仕事では「頑張ってる」は一切通用しない

言い訳頑張った

組織の中で仕事をしていると、しょっちゅう大きなミスをしたり売り上げを落とし続ける人がいます。そこでたまに耳にする周囲のフォローが「あの人、頑張ってるのに」。いやいや、それ言葉の使い方が違うから。

仕事において「頑張ってる」が当てはまるのは結果をしっかり出している人です。頑張っているはずなのに結果が出せていないのは、頑張っていないのと一緒。その人でなければミスが減って売り上げが増えるのだとしたら、頑張る頑張らないの問題ではなくて、その人の仕事のやりかたが問題だと思うのです。

それを分かっていながら、大きなミスを繰り返して売り上げを減らし続ける社員に限って、自分のやり方を変えようとしない人が多いなぁと感じています。

組織から給料を貰っていれば、それに見合った対価を生み出すのがサラリーマンの義務。演奏会もお客様からお金を頂いているという点では対価を生み出すことは義務。

仕事も演奏会も基本的には結果ありきだと思います。普段忙しいとか、風邪をひいたとか、家族が病気で大変だとか個人的な事情は、組織やお客様にとってはどうでも良いことなんですから。