奨学金訴訟返還

借りたものは返すのが当たり前。それがどこでどう狂ってしまったのか、奨学金に関するこんなニュースが掲載されていました。

経済的に苦しい学生を支援する独立行政法人「日本学生支援機構」(旧日本育英会)から借りた奨学金の返還が滞り、利用者が訴訟を起こされるケースが激増、昨年度までの8年間で100倍に増えたことが、同機構への取材でわかった。

背景には、不景気などにより貸与額が増加する一方で、非正規雇用や失業など卒業後の不安定な就労から返済が困難となっている情勢がある。機構側も対策を講じているが、専門家からは「学生を支援するはずが、強引に返済させるのは本末転倒では…」との指摘も出ている。

【参考リンク】Yahooトップニュース

Yahooのコメント欄を見るとだいぶ荒れていますね。「返すのが当然」「教育ローンとちゃんと改名すべき」とか、いろんな意見が飛び交っていますが、まさしくその通り。訴訟起こされる人に限ってスマホ持ってゲームに興じてるんじゃないのか?と思ってしまった。

こんな状況でも文科省は奨学金の無利子枠を増やしたりして対応してるが、訴訟の数は増える一方のようです。

でも、果たしてこの原因は奨学生だけにあるのだろうかと思った。

誰が奨学金を借りたのか

奨学金が滞納する原因は、経済的問題もあるとは思うが借金をしている本人が借金をしている自覚が無いからでは?と思う。

僕が高校の時は、親から将来の事について「なるべく良い大学に行け」だの「公務員が安定してるから」など言われていた。

そしてさしたる目標も無く、とりあえず国立大学に入学。親から申し込みを促されて言われるがまま奨学金を借りていた。卒業時には300万円ほどになっていて、気付いたら就職と同時に借金を背負っての社会人スタートだった。

こんな感じだったので、奨学金を借りている当時は「自分がお金を借りている」というよりは「親がお金を借りている」という感覚だった。なぜなら、自分が自立していなかったこともあるし、親は社会人になるまで子を面倒みるものだと思っていたからだ。

こう感じている奨学生は僕だけだろうか?

こうしたら違ってたかもしれない

仮に、高校の時に親からこんな感じで自立を意識させられてたらどうだったろう?

大学に通うにはこれだけお金がかかる。
うちの家計の状況だと、大学に行くにはこれだけお金が足りない。

将来どういう仕事をするためにどんな大学に行って勉強したいか、それにはどれだけお金がかかるのか、うちの状況だとどれくらいお金が足りないのか、家族みんなで考える必要がある。

お金が足りない時は奨学金を借りる必要がある。奨学金は大学に通って勉強するために、あなたが借りるものだ。

高校の時に親からこんな感じのことを定期的に言われていたら、僕の奨学金に対する意識は違っていたかもしれない。

奨学金を借りたのは自分で、それは大学で勉強をして、やりたい仕事ぶ就くためだ。仕事に就けたのは奨学金のおかげ。こう考えられたかもしれない。

ところが僕は親からこんな感じのことは言われたことは無い。多分お金のことに関して、子には心配させまいとしたからだと思う。

意識と自覚をさせる事が必要では?

奨学金滞納の原因は親にあると言いたいのではない。奨学金を借りる理由と借りた後のことを事前に意識させ、借金をするという自覚を持ってもらう話し合いが家庭で行われていれば、奨学金を借りた自分の意識は大分変っていたのではないだろうかと思うのです。

一応書いておきますが、僕は滞納者じゃありません。最近ようやく完済しました。長かったですが、今こういう生活を送られるのは奨学金のおかげだと、30歳頃になってから分かりました。

我ながら理解するのが遅過ぎ。本当は奨学金借りてる最中にありがたみを感じるべきだよなぁ。