不自由だと思っていたけど本当は自由だった~堀江貴文さんの「ゼロ」を読んで~

堀江貴文ゼロ感想

前回のエントリー「ノマド」という一見自由な生き方を求めたら逆に不自由になったでは、スモールビジネスを始めたら思考がビジネス目線ばっかりになったうえに、趣味の時間が取れなくなって逆に不自由になったと書いたわけですが。

そんな中、堀江貴文さんが刑期を終えて出所してからの著書「ゼロ」を読みました。

僕の今の生活は不自由ではなく、自由だったのです。

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自由とは心の問題

刑務所生活で得た気付き、それは「自由とは、心の問題なのだ」ということである。

自分にはなにもできない、どうせ自分はこんなもんだ、この年齢ではもう遅い。

もしそんな不自由さを感じているとぢたら、それは時代や環境のせいではなく、ただ思考が停止しているだけである。あなたは考えることをやめ、「できっこない」と心のフタを閉じているから、自由を実感できないのだ。

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今の僕は「できる」と思って物事に取り組んでいるし、毎日「こうしたらどうだろう。いや、こっちのほうが良いかも」など考えている。

寝ても覚めてもスモールビジネスのことばかり考えているけど、誰かに言われてやる仕事じゃなく、自分でやりたいと思った仕事だ。そして止めようと思えばいつでも止めることが出来るし、休むことだって簡単。

そう考えると、僕は十分に自由だったのです。

働くことは自由へのパスポート

責任が発生しないうちは、ほんとうの意味での自由も得られないのだ。無邪気に見える子供たちは、圧倒的に不自由なのだ。

いつも親の都合に振り回され、なにをするにも大人の同意が必要で、自由に遊んでいるつもりでも、しょせんは親から「与えられた」自由だったりする。住む場所を決めることもできず、着る服さえも制限され、夕食のメニューすら決めることができない。

僕の結論はこうだ。
自由と責任は、必ずセットになっている。
責任を自分で背負うからこそ、自由でいられるのだ。

僕にとっての自由を手に入れる手段とは、とにかく働くことだった。

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僕が子供の頃は、両親からの愛情をたっぷり受けて育ったことは実感している。でもあの家での生活は自由が無かった。

特に母親の愛情はちょっと過保護と思えるくらいで、自分で出来ることでも母親がやってしまってることがあった。成長したい自分がいるのに、成長させてくれない母親がいた。

そんな状況が嫌で、高校の頃は早く実家を離れたいと思ってたし、大学の頃は仕送りをするなと言ってたほどだ。バイト漬けだったけど、親元を離れての生活は自由を感じることが出来た。

就職して完全に親の保護を離れた今は、「責任」という目に見えない重荷を心に感じるようになった。

でもこの重荷を感じられるようになったことが、自由への本当のパスポートだったんですね。

今は住む場所も、着る服も、夕食のメニューも、全部自分で自由に決められる。自分の希望通りではなかったけど、今の就職先は自分が選んだものだ。加えてスモールビジネスは100%自分の意志でやっています。

「ゼロ」

読むまで自分では気づいていなかったけど、僕は自由だったのです。

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