日常の「なぜ?」に向き合う習慣

最近自分の習慣にしようとしていることがあって、それは日常の「なぜ?」をスルーせずに、向き合ってそれを解決したり表現しようとすることだ。

大人になればなるほど、「世の中はそんなもんだ」とか「昔からそう決まっている」とか、『なんとなく』でスルーして済ましている事がいかに多いかと認識するようになった。

それに対して子供は正直で、例えば「空はなぜ青いのか?」とか、「なぜ電池があれば物が動くの?」とか、「なぜコーラの色は黒いの?」とか、日常に「なぜ?」を考える力に溢れている。

子供の発想が柔軟と言われるのは、日常が「なぜ?」に溢れていて興味を持ち、それを解決しようと努力しているからではないだろうか?と思うようになった。

いつからだろうか?自分の中から「なぜ?」が消えていったのは。

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なぜ?に向き合わないと成長しない

なぜ?に向き合わないと成長しない
また、子供の成長のスピードが早いのも「なぜ?」が溢れているからだと思う。「なんとなく」「そういうものだ」という概念が無い。「なぜ?」という興味と好奇心を解決してスッキリする為に、周囲のあらゆる情報を取り込もうとする。時には子供の方が大人よりも深い部分まで知っていることがあるから驚く。

自分の会社では、売上を多く上げられる人は「なぜ?」を多く持っている。しかも、「ほとんどの人なら、これ聞くと恥ずかしいんじゃないか?」と思うようなことでも、気軽に「なぜ?」「どういう意味?」「教えて欲しい」と言ってくる。こういう人は何歳になってもどんどん成長しているのが分かるし、話題に溢れ、面白いアイデアを出すことができる。

ところが、「なぜ?」が無い、「なぜ?」があっても調べない、聞かない人は、何年経ってもほとんど成長しない。その場を何事も無かったかのようにやり過ごすテクニックだけは上達していると感じるが、こういう大人は子供と比べると人間としては情けなく思えてしまう。目の前の「なぜ?」に目をつぶって、逃げ続けているからだ。

イヤだねー。こんなカッコ悪くて情けない大人には絶対なりたくないし、自分は何歳になっても成長していたい。

だから、日常の「なぜ?」には向き合って、しっかり自己解決して表現出来るようになりたいと思う。とはいえ、自分もいつの間にか「なぜ?」をスルーする習慣が付いてきてしまっているから、これからそれを180度変えていこうと思う。

そうすれば、目の前のものが、もっと楽しく興味深いものだらけの世界に変わるんじゃないかな。