ゲームは悪か?

どこを見てもスマホスマホ。家にいても街を歩いてもスマホを見ないことが珍しい時代になりました。皆さんスマホで何をやっているかとチラ見すると、半分くらいはゲームやってるんですね。

ちょっと前にも私の妹から「兄さん~、”つむつむ”やろうよ」と言われまして、

マナ 「 なぁ、そのゲームやってて何の意味あるの? 」

妹  「 意味は無い。 」



という不毛な会話を繰り広げました。そう、ゲームって本人も「意味は無い」と思いながらも、楽しいからついついやっちゃうものなんです。

以前このブログで、私はオンラインゲーム廃人になっていた事を書いていますが、ゲームに割いた3年間を他の事に費やしたら、病気もせずにもっと有意義な人生を送っていたんじゃないかな、と思うことがあります。

だから、つい先日までは「ゲームはこの世に必要無いもの。無くても生活に支障が無くて、むしろ世の中の生産性が上がるんじゃないか」と思っていました。

酒の全てが悪か?

「ゲームはこの世に必要無い」という話を妻にしたら、かなり考えさせられる返答が返ってきました。

妻:

ゲームは本当に全ての人にとって必要無いのかな?

例えば、お酒もゲームと同じく依存症になる人がいるけど、適度に飲むお酒は、良いコミュニケーションが取れて関係が円滑になったり、ストレス発散になって毎日を頑張れる人もいるんだよね。

ゲームにも同じことがあるんじゃないのかな?


うむむむ・・・。確かにおっしゃる通り。私はゲームで苦く辛い経験があるので、「ゲームは悪で必要無い」と一方的に思い込んでしまっていた事に気付かされました。

ゲームで救われた人たち

ということで、早速「ゲームで救われた人たち」がいないのか調べてみました。すると、意外なことに、ゲームのおかげで人生が救われて、今では現実の世界でも幸せに暮らしている人もいました。

ちょっと長いですが、抜粋して転載します。

わたしは、高校に入ってから、いじめられはじめました。
理由ははっきりとはわかりません。
でも、わたしがデブで、変わり者で、おたくで、レズだったからターゲットになったんだとおもいます。

私はとても落ち込んで、荒れていました。
もう死んでしまいたいとも思いました。
オーバードーズで自殺をしようとしましたが、睡眠薬には耐性ができてしまっていて、その時は失敗してしまいました。

しばらくして、私は自殺を諦めました。
私は生きながら死んでいるような、ただそこにいるだけの存在でした。

あるとき、私はひどいいじめを受けました。
ひどく殴られて、学校の事務員用ロッカーに閉じ込められたんです。
閉所恐怖症だったので、ロッカーから開放されるまでの数時間、恐怖に震えていました。
開放されたあと私は泣き崩れました。
「私は価値がないんだ。」そう思いました。
そして、首吊りで自殺することに決めました。

薬を飲むでもなく、手首を切るでもない、ただロープを首に巻けば終わり。

帰宅中、行きつけのゲームストアのそばを通った時、ショーケースに「新作入荷!」のサインがおどっていました。牧場物語というゲームです。

ゲームを家に持って帰って、ゲームをセットしました。
今日が人生最後の日で、これが人生最後のゲームだ。
そう思いながら、ゲームを始めました。

ゲームをやっていると、牧場の世話をやることでだんだん気分が良くなっていきました。
ミネラルタウンの住民たちをお手伝いしていると、その住民たちが本当の友達のように思えてきました。
夜には、わたしは首をつろうとしていたことさえも忘れていました。
魔法のようでした。

私は、いじめをスルーできるようになり、家に帰ってからは牧場物語をやっていました。

ミネラルタウンには、友だちがいて、趣味もあって、お世話の必要な動物や野菜がたくさんあって、いやなことをすべて忘れられました。

レースやコンテストで勝って、教会でオカリナを吹いて、お祭りに行きました。ゲームのなかで、結婚もしましたし、子供もできたんです。

まるでゲームの中が現実の人生であるかのように感じました。そこには私の理想とする人生がありました。

そこでは町の人々に必要とされ、そして私も彼らを必要としていました。

ゲームをやるにつれ、私は勇気が湧いてきました。

「私は生きていていいんだ!」そう思うようになりました。

いまでは自信も自尊心も持っています。今の私は幸せです。

【引用】ゲームに命を救われた女の子の話

そんなぼくにとって大人向けノベルゲーム(マイルドな表現)の世界は優しかった。ゲームをすれば現実の自分を忘れることが出来た。

「To Heart」みたいな王道の学園ラブコメも楽しかったし、「fate」みたいな伝奇アクションも楽しかった。それをやっている間は自分が「自分」ではなく「藤田浩之」でいられたし、「衛宮士郎」でいられたからだ。

彼女らの抱える闇そのものが、ぼくを救ってくれた。それはもしかしたら、ゲスな楽しみ方かもしれない。心を存分に弱らせたぼくは、シンクロして何度も何度も泣いた。モニターの中の少女が救われるたびに、ぼく自身が救われたような気になった。

ぼくが暗黒から抜け出すことが出来たのは、直接的にはある人の助言がきっかけだったけど、その趣味を通じて出会った「ぼくの価値を認めてくれる人たち」の存在がそれを後押ししてくれたのかもしれない。ぼくは少しずつ「ぼく」をまた信じられるようになった。

【引用】二次元に救われた日々の話

中学のころ、私はずっと「死にたい」と思ってた。無視(むし)されたり、陰口(かげぐち)を言われたりするのがつらくて、結局、卒業式も欠席した。

「学校だけが世界の全てじゃないよ」って励(はげ)まされたことがあった。「あなたに何が分かる!?」って、その時は思ったけど、いつしかそう考えられるようになった。だって、学校なんて周りに数十人しかいない小さな世界だから。無理に合わせても苦しいだけだよ。

私は趣味(しゅみ)の世界に救われた。いくら「オタク」って言われても、絵を描いたり、漫画(まんが)を読んだり、ゲームをしたりするのが好き。今はインターネットで仲間を作ることができる。学校の外にすてきな出会いがたくさん待ってるんだから、何か一つでも、楽しいことを見つけてほしい。

【引用】《いじめられている君へ》中川翔子さん



ものごとを判断する時は、良い面と悪い面の両方を見て、そこから判断するべきだなぁ・・。ゲームがあることによって、人生が好転した人たちも実際にいます。

とはいえ、ゲームにのめり込み過ぎた故、ゲームの世界が全てと思い込み、そこでの人間関係が悪化して悲観、自殺した人も実際にいます。

これらの事から導いた私の結論は、「ゲームはお酒と同じ。飲み方を間違えなければ良い」ってこと。

だから、ゲームもお酒のように”飲み方”を教えてくれる人が必要ではないでしょうか。

お酒は飲み過ぎると体が動かなくなるし、健康にも影響します。しかしゲームの場合、大して健康には影響しません。スマホが普及したことで、いつでも気軽に、エンドレスに遊び続けてしまい、”悪”になってしまうリスクはお酒よりも高いと思います。