ささいなことで人間関係が悪くなったり、ちょっとした一言で他人を傷付けてしまうことがあります。
僕もこのせいで、どれだけの数の人間関係が悪くなったことか。
「なぜそうなったか」は漠然と理解しているつもりではいましたが、加藤諦三さんの著書「自分に気づく心理学」にその答えが明確に書いてありましたのでご紹介します。
なぜ人はささいな事実にも傷つくのか
事実というのは、人によって全くその重みが違う。この一点をお互いに理解することで人間関係の私的なトラブルはどのくらい避けられるか分からない。
例えば夫婦で、恋人同士で、いろいろないさかいをおこす。そしてお互い相手がなんでそんなに起こったか理解できないでいることが多い。
そのうちお互いに疲れてくる。相手を理解しようという気持ちも、理解してもらおうという気持ちもなくなってくる・そして長いいさかいごとのあとで、お互いがお互いの気持ちの中に閉じ籠ってしまう。
ある人にとって、どうでもいいことであるが、別の人にとっては自分の神経症的自尊心をひどく傷つけるものである。
事実はその人の価値観を通してその人の心に達する。同じ事実はお互いの心に達した時、全く異なって感じられるのである。
via:10、12
僕が妻とケンカする時の原因はまさにこれです。おそらく世界中の夫婦のケンカはこのことに起因しているのではないでしょうか。
軽いケンカで済めば良いのですが、時にはお互いの価値観が違いすぎることがケンカのテーマだと、「お互いに合わない」という結論を自分の中で出してしまいます。それが離婚の原因になることもあるのでしょう。
仲良かった関係が途中で悪くなってしまうのも、価値観の違いによることが多そうです。
予め「価値観は自分と他人は違う」いう前提で生きてみる
もし予め「価値観は自分と他人は違う」と理解しながら人と付き合っていたら、「違うのは当たり前なんだから」というフィルターを通して言葉を発するようになり、他人からの言葉を聞くようになるのかなと。
そうすれば自分もささいな事で傷付いたり、他人を傷付けることが少なくなるかもしれません。もっと相手を思いやることが出来るようになるかもしれません。
自分はついつい「相手もある程度同じ考えだろう」という前提で話をしてしまうことがあります。でもそれは間違っていました。1000人いたら1000種類の価値観があるんです。
そうなると、特にやってはいけないことは「自分の価値観を他人に押し付けること」でしょう。
最後に
価値観の違う人と良い関係を築いていくには、言葉の選び方・使い方も大切になると思いました。